三児のママ、キャパオーバーになって気づいた心が楽になる5つのこと

キャパオーバーになって気づいた心が楽になる5つのこと

育児って、幸せで満たされていて、

母って優しくて偉大で、

産んだらそうなれると思ってました。

育児ってみんな大変で、

みんな頑張っているから私も頑張ろうと思ってました。

この記事では、私がキャパオーバーになってから気づけた5つの気づきについて書いています。

私もあのママもみんな大変でみんなおんなじ?

子供を育てるって本当に大変ですよね。

でも、みんな大変だから!みんなそうだから!

そういうもんだから・・・

って、本当にみんなそうでみんな同じでしょうか?

お隣のお家は今日もおばあちゃんが手伝いに来てくれてる。

お向かいのパパはリモートになっていつも送迎してる。

みんなおんなじ・・・

みんな大変で、みんな頑張ってるから

だから頑張ろうって。

そんな精神はまず捨てていいと思うんです!

みんな同じではないので

しんどい時はしんどいって言っていいし、

無理してまで頑張らなくていい。

他の家と比べなくていいし、我が家の解決策を考えればいい。

そう割り切ってからの方が少し気持ちが楽になりました。

三人を育てていて、キャパオーバーになって、

本当に孤独を感じてしんどくなる時は、

自分だけが孤独でしんどい。

と感じる時でした。

よその家と比べてしまうのは、

根底にみんな頑張ってるんだから頑張らなきゃ!の精神でした。

そもそも育児の大変さだって子供によって全然違う。

すぐ熱が出る子、

癇癪持ちの子、子供だっていろいろ。

我が家なりの解決にフォーカスして、

みんな頑張ってるんだから頑張らなきゃの精神を捨てました。

気づき1

みんな大変みんな同じ、だから頑張ろう!は嘘だと気づく

理想の母像って本当に私?

いつも笑顔で子供とも全力で遊べるママ。

世界一優しくて愛情たっぷりのママ。

子供の体を一番に考えて美味しくて健康的なご飯を作ってあげれるママ。

そんなママに憧れています。

でもそもそもなんで自分の人間性のままで、

子供を産んだらキャラ変できると思っていたのだろう。

独身時代に料理なんてほとんどしたことないし、

世界一の優しさも備えていないし、

子供と遊んだことなんてほどんどない。

それってなんの下積みもないまま建築家になりたい!とか、

弁護士になりたい!とか思ってるぐらいトンチンカンなことだと思うのです。

私はわたしの人間性のままでしか母にはなれない。

私がなれるママになろう。

自分に合った職業と同じように、自分らしいママにはきっとなれるはず。

大きすぎる理想を求めて自分を見失うのではなく、

私が私のままで伝えられる愛情をしっかりゆっくり子供に伝えられたら良いと思うのです。

気づき2

私はわたしのままでママになると気づく

育児における完璧って何?

完璧主義なママほど、育児ノイローゼになりやすいそうです。

そりゃそうだ。

全く予定通りに進まないし、完璧なんて求めちゃったら気が狂いますよね。

そもそも完璧な子育てってなんだろう?

のびのびと子供を育てたい!っていう理想の一方で予定通りに物事を進めることを完璧と思っていたりすると思うのです。

きちんと集団行動できたり、時間通りに一日が運べたり。

それって本当に理想的な子育てで、完璧なのでしょうか?

それは多分、社会から求められる完璧で、子育ての完璧ではない。

だから、ちょっとくらい完璧でなくてもまぁいいやぁ、が多分子育てにおいては完璧なのだと思うのです。

なんだか屁理屈みたいになってしまいましたが、

予定通りに物事が進まなくても、それだけ子供に寄り添えたならOK!

ちょっとぐらい輪を乱してものびのび育ってくれたらOK!

完璧じゃなくてもまぁいいかと思えたらOKなのだと思うのです。

気づき3

完璧じゃないけどまぁいいや、が子育てにおける完璧なのだと気づく

朝、子どもと起きるのはナシ?

素晴らしいモーニングルーティーンの影響でしょうか?

それとも素晴らしい日本の昭和の母たちの影響でしょうか。

お母さんは子供たちより1時間早く起きて朝の支度を済ませている。

それが当然!多分7割ぐらいの母がそうしてる!なんて印象ありません?

私もそう思っていたので、自分が朝弱くて、子供と一緒に起きていることを恥ずかしく思っていました。

でも実際に周りのママたちと話していると、私調べ7割のママたちが子供と一緒に起きている!

みなさんも周りのママに聞いてみてほしい。意外と大多数が子供と一緒にとび起きています。

でも、それでいいのだ。

洗濯物を夜に干しておいたり、朝ごはんセットを作って時短してたり、

工夫次第で堂々と朝ゆっくり寝てられます

寝落ちしちゃってそのまま朝なんて日が続いても全然オッケー。

それだけしっかり睡眠がとれたのだから。自分の体に最善を尽くしたのです。

なんとか送迎して、送り出せたらそれでオッケー。予定がなければ昼まで寝てたってOK。

昭和から大きく時代は変わったのだもの。

母だって変わっていいのだ。

気づき4

令和の母は堂々とギリギリまで朝寝れると気づく

子どもの痕跡を消している?

本を読んでいて、はっとさせられたフレーズがありました。

それは片付けの本で、

片付けることに気を取られすぎて、子供の痕跡まで消そうとしていた

というフレーズでした。

その当時の私はミニマリストに憧れ、本を読み漁り、断捨離して、

とにかく物を減らして片付けを楽にして、すっきりシンプルに暮らしたい!と熱量100%。

またマックでもらったおもちゃが落ちている・・・

レゴのパーツ、いつも転がってるからもう捨てようかな・・・

おばあちゃんの家からまたわけのわからない小物をもらって帰ってきた・・・

敵はそこらじゅうからやってくるという日々の中で、

捨てても捨てても散らかっていることにイライラしていました。

そんな中で出会った『子供の痕跡』という言葉。

転がっているマックのおもちゃも、クレヨンの跡も、レゴのパーツも

どれも子供たちの痕跡で、

子供がいる今の暮らしにしかない物たちだと思うと敵だった小物たちが急に愛おしく思えたのです。(単純)

そもそもスッキリ暮らしたいのは私の理想で、片付けをするのは自分の心を整えるため。

家族のためにやっているわけではないのです。

家族のためにやっている、なんて思ってやるとたちまち痕跡は敵へと変わってしまいます。

一週間に一度ぐらい自分の気持ちのためにリセットして、

あとは今しかない子供たちの痕跡を存分に味わって、

片付けに囚われすぎるのはやめよう。

そもそも子供が三人もいて、常にスッキリ片付いているのは不自然だもの。

そう思ってからは少し散らかっていても心がざわつかず、穏やかに過ごせるようになりました。

気づき5

散らかりは敵ではなくかわいい子供達の痕跡だと気づく

まとめ

以上5つの気づきがこれまで私の中で救いとなり育児を支えてくれた気づきです。

どれも自分の固定概念や、思い込み、こうあるべき、といった

理想を取り払うことで心がホッと解放されたことばかりです。

体力的なしんどさや、

本当に手が足りないという心もちだけではどうにも解消できない悩みもあります。

でも本当のしんどさや孤独感は案外自分自身で生み出していて、

心もち次第で前向きにも捉えられると気づいたのが一番大きな気づきかもしれません。

ひとりひとりが自分らしいママになれますように。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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